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里の人インタビュー:新田さん(里力再生協議会会長)② 〜仲間と少しずつ

地域のこと

―ここからは新田さんの背景にも一歩踏み込んで聞いていきたいと思います。新田さんが三重に住むまでにはどんな経緯があったんですか?

伊根町の多くの子は中学を卒業したら高校へ行くために家を出ないといけなかったんだ。その後、大学卒業後、就職するのに伊根に帰って来た。田舎が好きだったから。

それでも実家は長男が住むところであり、僕は住めなかったから、結婚して5年ぐらい宮津や加悦町の借家に住んでいた。子どもが小学生になるタイミングで、定住する地を見つけようと思って探していたら、三重の土地が見つかったんだ。ここに来てもう30年になる。

―住み始めた当初の三重の雰囲気はどう感じましたか?

今より閉鎖的な感じがした。みんな地域の役員をやるのを嫌がって、断ってた。

でもその雰囲気が逆にバネになったかも。地域に仲間を作らなあかんと思った。PTAの集まりなどで色々話をしながら、自分たちの子供も将来このままだったら住まなくなると言う話をよく一緒に酒飲んで話したね。

今、共にまちづくりを進めるメンバーにはその頃からの仲間たちも多いとのこと

―地域の仲間と少しずつ変えていったんですね。先ほど「人で繋がる」と言われてましたが、そういったところから始まったんですね。他にこういった繋がりはありますか?

ちょうど同じ頃、三重でゴルフ同好会ができてね。たかがゴルフだけどもう26年間続いている。すごいだろ(笑)。三重だけで会員が23人いる。ゴルフって上手い人も下手な人もいて、三重はみんなを大事にして上手い人も下手な人も楽しめる会になっている。

また、社会に貢献するようなクラブにしようという思いもあって、阪神大震災や東北災の時に募金を集めたり、地区の行事に寄付したりもしてきた。

―仲間が増えていったんですね。地域の雰囲気も変わっていきましたか?

以前、盆踊りが下火になった時に、未来倶楽部を作って納涼祭が始まった。他にも色んなとこで多くの人が交わり出して、今まで地域になかったような行事が出来だした。これは区で昔から続いていて、変えていった方がいいことを変えてきたからかも知れないと思っている。

大きかったのは区費の見直しをしたこと。それまでは田や農地を多く持っている家は区費を多く払うという形だったんだけど、それを変え、全員一律を基本にした。それをきっかけに区民に平等感ができたと思う。無意識のうちに。

―なるほど、平等感ですか。そういう地道な努力を積み重ねて今の三重森本の雰囲気が出来上がってきたんですね。

里の人インタビュー:新田さん(里力再生協議会会長)③〜思い描く三重森本の未来に続く