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里の人インタビュー:田崎さん夫妻② 〜新たなチャレンジ

地域のこと

―代表的な取り組みの一つである「軽トラ市」についてはお聞きしましたが、最近はまた他の取り組みもされていると聞いています。

由美子さん「府立植物園に行かないかって誘っていただいて。地元を飛び出して。10ブースぐらいあったかな。丹後からも4つくらい出店してましたね。

お客さんも多いですし、笑顔と大きな声で呼び込みをしてるので、「まんぐるわさん元気!」とか通りがかりの方も言ってくれるんですけど。本当にいい経験になりました。

売り場もいろいろ工夫して。野菜直売所とかまんぐるわ三重森本という旗を作ったり、かごに入れてお洒落にしようかなとか。こだわりの低農薬というパネルを作ったり。来ていただく方にこだわり野菜をアピールするパネルを作ったり。つながりのある龍谷大学生の子がまんぐるわの三重森本の看板を作ってくれたりもしてくれました。」

ーまんぐるわで地区外で出店することは初めてだったんですか?

由美子さん「全くはじめてです。私たちの野菜がそんな京都市内で買っていただけるんかなという思いはあったんですけど、まあそんな不安は飛んでしまいました。行ってみたらやっぱり売れるねと。

ただ(他の店は)白菜なんかでも(手を広げて)こーんな大きな白菜とかね。九条ネギとかでも(手を広げて)こーんな九条ネギとか。やっぱりスケールが大きいので、そういう作り方もまた教えてもらわないとと思って。勉強になりました。いい経験をさせてもらったんです。

やっぱり地域の軽トラは軽トラの良さがありますが、このイベントに行かせてもらったことで他のお店なんかの販売の仕方とかPOPの置き方作り方など勉強させてもらい、ちょっと前進できたと思います。地域の外に出るチャンスを頂くことができてすっごく楽しかったです。」

―野菜の出荷もされているとお聞きしましたが、それはまんぐるわさんで販路を開拓されたんですか?

由美子さん「毎週、大阪の天王寺へ野菜を出荷してるんです。龍谷大学の先生が天王寺のお米屋さん、野菜も置いてくれるところなので交渉してくださって私たちの野菜も売ってくれるようになりまして。今では「京丹後の野菜早く来ないのー?」という感じで待ってくれるお客さんも多いみたいで。毎週日曜日、で月曜日に朝届くようにして。お店の前に並べてくれはったらほとんどその日に完売。

それからまんぐるわの会員さんの甥っ子さんが吹田の方でレストランをされるそうで。レストランでもその京丹後の野菜を使いたいということで毎週そこも水曜日にレストラン向けの野菜を出してるんです。なのでちょっと販路は見えて来てます。」

―なるほど、いろいろな方の協力があるんですね。まんぐるわの皆さんは元気がいいので周りの人が応援したくなるのわかるような気がします。グループの雰囲気も良さそう。

由美子さん「とりあえず「まんぐるわの人達は楽しそうにしとんなるで」という雰囲気を出していくのは大事にしていこうかなと思ってます。そうしたら「あそこいったらあんなに楽しそうにしとんなるで、私も行ってみよ」っていうことになるかもしれないし。そんな場所だったり、グループでありたいなと思ってます。」

まんぐるわのメンバーの皆さん
写真右から三番目が由美子さん

※ここで夫の喜芳さん帰宅。突然のインタビューでしたが快く対応していただけました。

―お邪魔してます。突然ですが、せっかくなので喜芳さんのお話も聞かせてください(笑)。喜芳さんは今どういったことで地域と関わっているんですか?

喜芳さん「今は区長ということもあって、この前はホームページに記載する文章を書かないかんということで森本のことをもう一回勉強させてもらったんですけど。森本地区もいろんなことで先輩方がしてくれたことがあって今にあるんだで、してもらったことを将来に向けて残していかんといかんなと地区の皆さんと言うとるんです。

その中で最も貢献してもらっとるのは森本の水道で。森本の水道というのは、森本の区民で作った水道なんです、昭和28年から29年にかけて。だから大宮町の中でも早いと思う。それから区の水道ですので、区で料金が決めれるわけです。だからとてつもなく安かったんです。というのはポンプ使わなかったんです、自然流水。

当時を知る人に話を聞いたんですけど、なかなか大変なことをされとるんだなと。その当時、機械もそんなあらへん中で、ようそんなことされたなと。山の上まで砂を背負って行ったていうて。せいたに背負って。今の若いもんに言ったって絶対にせえへん。だから美味しい水が飲める。

―先人の方々のそんな歴史があったんですね。そういった苦労を知ると、今後もそういった思いを受け継いでいかないとと思いますね。

インタビューその③に続く